太極拳の練習に站樁功を取り入れている方も多いと思います。
では、なぜ站樁の練習を行うのでしょうか?
今回は、站樁の意味や目的、注意点のほか、そもそも太極拳の練習に站樁が必要なのか?を考えてみたいと思います。
站樁(たんとう)とは?
站樁の意味は、杭のように立つという意味です。
日本では、太気拳創始 澤井健一先生によって広められ、別名 立禅とも呼ばれています。
本家の太気拳や意拳をはじめ、太極拳、気功、中国武術各派、また極真空手などでも採用されているようです。
站樁の起源については何とも言えませんが、意拳の創始者 王向斎老師が師である郭雲深先師から学んだようですから、意拳から各派へ流れていったのだと思われます。
站樁の効果や目的については後述しますが、まず站樁が太極拳の練習に有効なのか、必要なものなのか?を次項で考えてみたいと思います。
站樁は太極拳に必要か?
站樁の稽古を経験した方が総じて思うのは、「この稽古に何の意味があるの?」あるいは「何の効果があるの?」だと思います。
結論から言えば、意味がありますし、効果もあります。
ただし、それはその門派の練習体系が站樁と連係している場合に限ります。
連係していない場合は、単に足腰の強化や瞑想的な解釈となり、站樁をやっても、あまり意味が無いように思います。
では站樁と連係するとは、どういう事か、私が学んだ門派を例に考えてみましょう。
古伝太極拳(楊式太極拳 小架式)
鄭志鴻老師に学んだ古伝太極拳には、站樁の稽古がありました。
というよりも、鄭先生の古伝太極拳は、太極拳自体が站樁そのものでした。
入門して数か月は站樁しか教えてもらえませんでしたし、次に教えてもらったのは站樁を維持しながら歩法、そして太極拳の套路(型)も站樁の規格を維持しながら行います。
ですので、鄭先生の門派では、站樁は必須ですし、站樁無しで古伝太極拳の套路だけを学んでも全く意味がありません。
当会の練習体系
当会の基本の練習体系を学んだ先生の門派では、【樁功、基本功、歩法】を三位一体のカリキュラムとして学びました。
例えば、ある樁功(静功)があれば、その樁功の動功としての基本功がありました。
また、歩法に関しても、站樁の状態を維持しながら移動する静功としての歩法と、基本功を行いながら移動する動功としての歩法練習がありました。
あの門派では、太極拳を学ぶ以前に【站樁、基本功、歩法】を三位一体として学ぶ事で、人体の構造を変える事を目的としていました。
套路も開門拳や二套拳など、これらの功法を組み合わせた独自のものが伝わっていました。
当会の初級教程で学ぶ站樁には、無極、抱球(下段と中段)、下按、青龍探爪(中立勢)、大鵬展翅、托天掌、白猿献果などがあります。
陳式太極拳(古伝小架式)
後年学んだ陳式太極拳(古伝小架式)の門派では、「止まった水は腐る」の言葉通り、站樁の稽古は一切行われていませんでした。
代わりに、ある基本功(動功)が站樁と同様の効果を得るために行われていたように思います。(規格を作るための練習法)
現在の陳家溝では、站樁の稽古も行われているようですが、陳家溝でも本来は站樁は行われていなかったようです。
おそらく、北京で陳発科先師に学んだ馮志強老師によって、逆輸入されたのではないでしょうか。
また馮志強老師の門派のように、站樁を重視する陳式太極拳の門派もあるようです。
このように、同じ太極拳でも各派によって、站樁の扱いは様々で、要はそこの門派の練習体系と站樁が関わっているかだと思います。
深く関わっていない場合は、無理に站樁の稽古をするよりも、その門派に本来備わっている練習をしたほうが、はるかに有効です。
站樁の目的
では次に、具体的な站樁の目的について考えてみたいと思います。
体幹部と両手、両足をつなげ、全身に掤勁の感覚を張り巡らせ【内面的な骨格(規格)】を形成する。
站樁は、究極の型
站樁は、言い換えれば、究極の型(鋳型)と捉える事もできます。
鋳型というのは、溶かした鉄やプラスチックを流し込んで形成する型枠の事です。
站樁や太極拳における鋳型とは、沈肩墜肘や含胸抜背、立身中正、虚領頂勁などの身体上の要訣にあたります。
要訣という鋳型に体を流し込む事で、具体的には各関節の可動域を制限します。
一般的なスポーツや格闘技では、各関節の可動域を広げるのを良しとしますが、太極拳の場合は、逆に制限します。
肘や肩などの関節の可動域を制限する事で、逆に今まで使っていなかった部分(主に体幹部)の動きを活性化させます。
内面的な体の動きである内功については、こちらのページをご覧下さい。
つまり、肩や腕自体の動きを制限しなければ、内功(身体内面の動き)は稼働しないという事です。
当会の練習体系では、站樁で規格を作り、歩法によって体軸を強化し、基本功によって、体を動かす仕組み(内功)を作っていきます。
当会の練習体系については、以下のページをご覧下さい。
活站樁と死站樁
活站樁と死站樁という言葉は、私の造語です。
站樁を指導していて、一番感じるのは、活(生)きている站樁と、そうでない站樁をしている方がいる事です。
活きている站樁とは、全身に掤勁が張り巡らされ、何かエネルギーに満ち溢れている感じがあります。
静止していますが、咄嗟の際には全身が連動して動ける状態にある站樁の事です。
逆に死站樁とは、ただ立っているだけ、脱力して居付いてしまっている站樁です。
その違いは、一言で言えば練習量という事になりますが、どうせ站樁をやるのであれば、真剣に站樁に取り組んでみると良いと思います。
真剣に取り組むという事は、死に物狂いでやるという意味ではなく、自分で色々と試行錯誤をしてみるという事です。
というのは、站樁というのは、結局は 自分自身で体得していくものだからです。
先人の書いた文章をどれだけ読んでも、先輩の体験談を聞いても、それはその人が会得したものであって、あなた自身が得ていくものと完全に一致するとは限りません。
時には間違った方向に進む事もあるでしょう。逆に体を痛めてしまう事もあるかもしれません。
しかし、それで良いのです。間違いに気付けば、そこを修正する事ができます。
站樁とは、修正して、修正して、少しずつ自分自身の站樁(規格)を作っていくのです。
私が站樁を学び始めて28年の歳月が経ちます。
今日がベストの状態と思ってやっていますが、それでも日々変わっていきます。
日によって、微調節をしますし、がらっと感覚が変わる事もあります。
つまり、完全とか完成は無いのです。
それでも、人生最後の日がベストだと思って、今後も立ち続けるつもりです。
まとめ
今回は、站樁の意味や目的について、また站樁が太極拳の練習に必要なのか?について考察してみましたが、いかがだったでしょうか?
まとめとして言える事は、站樁は 鍛錬だという事です。ただし、【部分的】にではなく、体全体を一つと捉えての鍛錬です。
そして、その上で 練習体系の中の一部でしかないという事です。
単に站樁だけをやっていれば良いという事ではなく、站樁の規格を維持しながら動的な稽古(基本功や套路)を行い、站樁と太極拳をつなげていく作業が必要となります。
太極拳の要訣に「静中求動」、「動中求静」という言葉があります。
直訳すると、「静中に動を求め、動中にも静を求める」という意味です。
静止した状態でも、いつでも咄嗟に動く準備が出来ている。動いていても常に站樁の規格(姿勢と状態)を外れない。
站樁(静功)と太極拳(動功)が一致した状態の言葉だと思います。
站樁に関しては、様々な要訣がありますが、一番重要な事は、実際に立ち続ける事。そして、習慣化する事です。
やり続けた人、会得した人にしか、結局は分からないのが站樁です。
今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
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伝統太極拳の中軸をなす歩法練習について解説しています。
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