今回は、陳式太極拳の第一手である懶扎衣(らんざつい)の言葉の意味や型の分解動作、懶扎衣の戦略や戦術に則った用法例について動画や写真を用い、これまでの研究成果を紹介したいと思います。
Contents
懶扎衣(らんざつい)の意味
懶扎衣は、門派によっては、攬扎衣や乱扎衣の名称で伝わっています。
私が最初に陳式太極拳に触れた先生の下では、乱扎衣が使われていましたし、後年学んだ古伝小架式の門派では攬扎衣と拳譜に記されていました。
もともと中国では、技法や要訣は口伝として伝わってきたため、発音の似ている字を、当て字として使用している場合があります。
ちなみに楊式太極拳の攬雀尾も「ランチャ(ザ)ーイー」で同じ発音となります。
では、懶扎衣の言葉の意味を考えてみましょう。
扎衣とは?
懶扎衣、攬扎衣、乱扎衣ともに扎衣の文字は共通していますね。
衣は、ころも、衣服と言って良いと思います。
扎は、古い漢字では、紮と書き、要約すると二つの意味があります。
- 刺す
- 縛る,くくる,巻く,束ねる,結わえる
① 刺す
①の刺すは、刀術などでも扎刀という技法があります。
ちなみに剣の場合は、刺すの文字がそのまま用いられ刺剣と書きます。
扎も刺も、同じ刺すという意味ですが、刺と比べると、扎はぶすっと刺す、貫き刺すといった感覚です。
鍼を刺すの場合も、扎の文字が用いられ、一旦皮ふの抵抗を感じた上で突き刺すといったイメージです。
扎衣で、衣を刺す。相手を刺す、打つという意味になります。
② 縛る,束ねる,結わえる
②の意味だと、相手の衣服を縛って束ねて、動けなくするといったイメージでしょうか。
あるいは、衣を縛る、結わえるとも受け取れます。
また紮には、からげるという意味もあり、衣服のすそをまくり上げて帯に挟むといった意味もあります。
実際に、懶扎衣の動作には、すその長い中国服(パオ)をまくり上げて帯に挟み込むような動作があります。
この姿勢の意味は、懶扎衣の戦略や戦術の欄で説明します。
懶・攬・乱の意味は?
次に、ランの言葉の意味についてもそれぞれ調べてみましょう。
- 乱…乱す、混乱させる。
- 攬…(両手で胸元に)抱き寄せる,抱え込む。
(ばらばらの物を縄などで一まとめに)縛る,くくる。 - 懶…ものうい(気分が重たい)、ものぐさい(面倒臭い)、おこたる、なまける。
ちなみに樹懶と書いて、動物のナマケモノです。また懶人で無精者といった意味です。
それぞれのランの文字を扎衣に当てはめると、どのようなイメージが湧いてきますか?
乱扎衣
乱扎衣だと、相手を混乱させて、かき乱して、打つ。
あるいは、混乱させた上で拘束するといった技法でしょうか?
実際に懶扎衣には、四正手の掤(ポン)、捋(リー)、擠(チー)を用いて、相手を撹乱させる用法もあります。
攬扎衣
攬扎衣だと、相手を引き寄せて打つ。
あるいは拘束した上で打つ、拘束して捕らえるといったイメージになります。
懶扎衣
懶扎衣だと、直訳だと意味がつながらないですが、懶には形容詞として動作が鈍いといった意味もあります。
一つの例としては、ゆったりと衣服をまくり上げ、帯に挟んだ状態で、敵を誘うさまといった解釈もできると思います。
実際に、この技法の創始者が、どの文字を使っていたかは分かりませんが、皆さんも、コロナウィルス禍で練習ができない時に、色々と調べてみると良いと思います。
私なりの解釈としては、懶扎衣という技法は、ゆったりとした動きで相手を誘い、もしくは四正手を用いて翻弄し、捕捉した上で、とどめ刺す。
そういった技法として捉えています。理由は、用法例で後述しましょう。
懶扎衣の套路(型)の動画
以下の動画は、当会で指導している陳式太極拳 懶扎衣の基本架式です。
一般的な老架式や新架式の架式と比べると、若干の差異を感じるかもしれません。
理由は、私自身が、老架や新架を学んだ後に、台湾に伝わった陳発科の系統や、古伝の陳式小架を学んだ事で、次第に独特な架式となってきました。
鄭志鴻先生に学んだ楊式の古伝小架の影響もあると思います。
と言っても、意識的に混ぜた訳ではなく、それぞれの架式で練った内功が、30年近くの月日の中で噛み合い、自然に一つの流れとなりました。
現在、大陸で伝わっているものとは、立ち方の要訣が根本的に異なっています。
今後も内面の動きが、より精妙化していけば、少しずつ変化していくと思います。
また、上記の理由以外にも、懶扎衣の架式は段階や目的に応じて、様々な架式があります。
例えば、下の動画の懶扎衣では、手の動きを極力抑え、上下の意識を重視して行っています。
逆に上下の動きを極力抑える架式もあります。この場合は、手の動きは平円を描き、開勁を重視しています。
ただし、立ち方は、やはり当門に伝わっている要訣となっています。
懶扎衣の套路の中での流れは以下の動画でご確認下さい。
懶扎衣の分解動作
懶扎衣には、楊式太極拳の攬雀尾と同じく、太極拳の四大勁である掤(ポン)、捋(リー)、(チー)、(アン)の四正手がすべて内包されています。
掤は、内側からふくませる力の総称です。性質としては上方へと向かいます。
捋は、相手の攻撃を後方へいなす、もしくは巻き取る動作です。
擠は、相手に接触密着し、相手の力を遮断する前方へ向かう勁です。
按勢には、下方に向かう下按と前方へ按出する前按があり、懶扎衣の場合は、全体の流れは前按ですが、下方への按の力も内包しています。
攬扎衣の用法例(摔法)
では、攬扎衣の套路の動き通りに、掤(ポン)、捋(リー)、擠(チー)、按(アン)の四正手を用いた用法例(摔法)を紹介しましょう。
※ 摔とは、放る。投げるなどの意味。
実際は、この接触時に相手に化勁をかけています。
※ 換勁とは、勁を変換するという意味です。
相手は、右手で防ごうとしますが、右手ごと相手の力を遮断します。
連続すると、以下のようなイメージとなります。
下の動画は、両肩を持たれた場合の攬扎衣の用法例です。
打法としての懶扎衣(動画)
懶扎衣の套路(型)の動きのもう一つの考え方として、終末動作までの過渡動作は、終末動作への蓄勢と捉える事もできます。
つまり、按勁を打ち出すために、ゼンマイ仕掛けのぜんまいを巻いている動作であるという事です。
正確な套路(型)の動きを長年練っていると、内功といった体の内面から、体を動かす仕組みができてきます。
懶扎衣の内功は、ゼンマイ仕掛けのように、身体内で発生させたらせん状の力(纏絲勁)を右掌に集中する仕組みとなっています。
以下の動画は、最初に懶扎衣の套路の動作、次に懶扎衣の内功による動き、そして最後に内功による瞬発力を表現しています。
太極拳のもっとも中心となる武器は、この懶扎衣による右手の掌打です。
套路で技を打つ仕組み(内功)を形成し、内功そのものを活用したものが技となります。
太極拳は、この右手による掌打を当てるために、他の技法で撹乱、捕捉し、懶扎衣へつなげるのを戦術の第一歩としています。
それゆえ懶扎衣を第一手としている訳です。
また、伝統套路の前半部分の構成も、懶扎衣を基準とした変化(六封四閉、白鶴亮翅)や相反した技法(単鞭、金剛搗碓など)で構成されています。
昔日の太極拳修行者は、この第一手である懶扎衣のみを数年間、徹底的に練り、威力、速度の伴った技法に仕上げていったと言います。
時代は変わっても、我々もそれを目指して行きたいものです。
文中に出てくる内功について詳しく知りたい方は、【太極拳の内功について】 のページで解説しています。
陳式太極拳の戦略と戦術1(相手を誘う)
本項では、打法としての懶扎衣をどのような戦術を用いて、相手に当てていくかを考えてみましょう。
さて、皆さんは以下の構え、立ち方を見て、どのような意図を感じるでしょうか?
両手ともガードは下がり、右手はみぞおちあたり、それもかなり体に近い位置です。左手にいたっては、腰の位置まで下げ、相手に隠しているようにも見えます。
顔は突き出しているようにも見え、無防備といっても良い姿勢です。格闘技的にはありえない構えと言って良いでしょう。
一つのヒントを言うと、この姿勢は懶扎衣の意味について解説した衣服のすそをまくり上げ、帯に挟んでいるような姿勢を意図的にとっています。
この姿勢の内面を解説すると、懶扎衣の前半部分のゼンマイを巻いた状態(蓄勢)を維持しています。
つまり、この姿勢からいつでも、ポンやチー、そして懶扎衣の按(掌打)を発動できる状態だという事です。
また、相手の攻撃に対し、チーやポンで対処した後、そのまま懶扎衣の打法(按)に変化する準備もできています。
相手の攻撃に対処する準備ができており、かつ瞬時に反撃する準備もできています。
では、あとは何が必要でしょうか?
そう、相手にこちらが受けやすい攻撃をしてもらう必要があります。
といっても、相手がわざわざこちらの受けやすい攻撃をしてくれる訳がありません。
ですから、相手にこちらが受けやすい攻撃をしてくれるように、こちらの顔面を、相手の打ちやすい距離に、打ちやすい場所に、差し向けるのです。
懶扎衣の場合であれば、相手が右拳でこちらの顔面を打ってくれるように、適切な位置に自分の顔を差し出します。
ここからは、対人練習でイメージしていきましょう。
実際には、相手と接触する以前に、相手が攻撃しやすい距離、位置を見定める必要がありますが、ここでは分かりやすく搭手の状態から始めます。
どうすれば、相手がこちらの顔を打ちたくなるのか、色々と試行錯誤してみましょう。
この時、一瞬ですが、相手とこちらの間にはアーチが形成されます。
相手は、アーチごと、前のめりになり、バランスを崩します。
バランスが崩れるという事は、一瞬体が硬直し、次に向かう動作に遅れが生じるという事です。
この技術は、推手の技術そのままです。このまま相手を引き崩す事もできますが、ここでは按撃へと変化します。
この左手の按は、懶扎衣の落式の按です。
この動きを動画で見ると、以下のようになります。
※ この動画は一度だけだと一瞬で終わってしまうため、同じ動画を二回つなげています。
このように、懶扎衣の戦略の第一歩は、自分は攻防ともに盤石の状態を維持し、その上で相手の攻撃を誘って反撃します。
具体的な戦術としては、相手の右拳での上段攻撃を誘い、チーやポンで交錯、リーに転じた後、按で反撃するといったストーリーです。
応用として、相手に右拳で中段を突かせるには、どうするか。また突かせた後、どのような技法に変化するか。
あるいは左拳で突かせる場合は、どのような力を準備し、どのように誘うか、またどの動きで反撃するかなど、色々と考えてみると良いと思います。
陳式太極拳の戦略と戦術2(撹乱し、仕留める)
前項では、相手を誘い、反撃する戦略について説明しました。
しかし、誘っているだけでは、相手が誘いに乗ってこない場合もあります。
本項では、懶扎衣のもう一つの戦略である。【相手を撹乱して仕留める】戦略 乱扎衣について考えてみたいと思います。
まず以下の動画を見てみて下さい。
六封四閉は、懶扎衣に続く陳式太極拳の第二手です。用法例としては、相手の両手を封じての投げ技や撞掌がありますが、ここでは切掌を用いています。
六封四閉について詳しくは、こちら のページで詳しく解説しています。
また最初に行うポン勢も、楊式太極拳の攬雀尾の掤勢のように、ドリル上の力を指先に集中した摔掌として行っています。
続いて、分解写真で、この技法を解説してみましょう。
相手が誘いに乗ってこない場合は、こちらからポン勢(摔掌)で仕掛け、相手に圧力をかけます。
アーチが形成された瞬間に、今回はそのアーチを途切れさせないように、左手へとバトンを渡し、
※ この技法では、相手との間のアーチを途切れさせずに、同じ圧力で左手にバトンを渡します。(相手に手を入れ替えた事を気付かれないようにします)
相手は、右切掌を防ごうと、体を屈ませようとします。つまり相手の意識を下方へと誘導します。
相手の意識の動きを整理すると、こちらが仕掛けた右ポン勢を受けようと、まず前方上方へと向かい(写真①)、次に右切掌を防ごうと体を屈めようとします。(写真②)そこでがら空きとなった顔面へと掌打を放つ戦術です。
相手を後手後手と追い込み、退路を断つ戦略となります。
この動きをスローで表現すると、以下のようになります。
このように太極拳の技法は、懶扎衣に限らず、相手の意識を巧みに利用し、その上で一連の線の動きとなります。
今回は、六封四閉の切掌からの変化を紹介しましたが、応用として、四正手のいずれからでも、懶扎衣を打てるようにする。
あるいは、終末動作に他の四正手を用いる。または、金剛搗碓や単鞭などの他の技法と連環するなど、原理原則があっていれば、いくらでも応用が可能です。
各自で色々と試行錯誤されてみると良いと思います。
まとめ
今回は、陳式太極拳の懶扎衣について、その言葉の意味や型の分解動作、また懶扎衣の戦略や戦術に則った用法を紹介してみましたが、いかがだったでしょうか?
当門には、懶扎衣の対練法なども伝わっているので、機会があれば紹介したいと思います。
最後になりましたが、懶扎衣は、私がもっともこだわり、練習してきた技法です。
太極拳の技の中で、一番好きな技法でもあります。
今後も気付いた事があれば、追記していきますので、定期的にこちらのページをご覧下さい。
陳式太極拳の他の技法については、【陳式太極拳の技法研究】のページで紹介しています。
当会に興味を持たれた方は、【受講案内】のページをご覧下さい。
最後まで、お読み頂きありがとうございました。
懶扎衣と関連性の高い以下の技法もご参考下さい。
太極拳の代表的な技法である単鞭の型の分解動作や用法例、 古伝の楊式小架式単鞭の動画も紹介しています。
楊式太極拳の第一手である【攬雀尾】の型の分解動作や用法例、また太極拳の根幹的な技法である四正手(掤、捋、擠、按)について解説しています。
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初稿 2020年8月11日
二稿 2021年6月5日
三稿 2022年7月4日